藤原 龍さん
アマン東京 ビバレッジマネージャー
シンガポールの「WakuGhin」や「ジャンジョルジュ東京」など、国内外のミシュラン星付き名店を経て、現職。ホテル館内のイタリアンレストランArva、鮨店 武蔵 by アマン、カフェやラウンジ、客室の飲料統括をし、アマンレジデンス東京のワインリストを手掛ける。日本酒は日本の歴史そのものだと捉え、その発展を願い傾倒している。
酒匠取得のきっかけ
シンガポールにて、ワインと酒のソムリエとして海外就労をしておりました。異国の地で多くの方にサービスしながらコミュニケーションをとる中で、自分自身が想像していた以上に、日本酒が世界中から愛されていたこと、さらに飲用文化が根付いていることに驚愕し、今でもそれを鮮明に覚えております。
洗練されたその透き通った味わいが、自国への郷愁と関心を更に強くさせていきました。
帰国後、日本の歴史と文化に常に寄り添っていた「酒」について、知識と経験を深めていきたいと思い資格取得へ挑戦いたしました。
酒匠取得後の変化
酒匠を取得したことで、「日本酒」と「焼酎」のテイスティング能力、提案力が向上したことを実感しています。その知識、経験を踏まえて、フレンチやイタリアン、和食などを問わず、酒ペアリングを今まで以上に積極的にご提案しております。
また、ワインペアリングと酒ペアリングの双方を取り入れることで、お客様のご要望になるべく沿えることを日々心がけております。
坂口 浩一さん
イオングループ労働組合連合会(団体役員)
酒匠取得のきっかけ
実家が酒屋で酒瓶に囲まれた幼少期でしたが「酒=酔っぱらい」の印象で、社会人になっても口にする機会はありませんでした。ある時、偶然通りがかった酒屋さんのリーチインショーケースに並ぶ日本酒の美しさに惹かれ購入、「オレンジスカッシュのような味わい」と出会い、酒屋巡りが趣味化しました。
ある日、外食時にわか知識で「酸の多いものを」と注文したところ、「どんな酸が好みですか」と返され、答えられないという事態に(ちょっとだけ敗北感)。そこからは探求心です。
それに「酒匠」って言葉かっこいいですよね。だって「酒の匠(たくみ)」ですよ。
酒匠取得後の変化
日本酒や焼酎は私たちの文化、学ぶことで誇りに思う気持ちが強くなり、自然の恵み・造り手の技に思いを馳せるようになりました。
私はお酒に関わる仕事をしていませんが、飲食をする様々な場面で、料理との相性、相手の好みなどを踏まえた適切な選択が自信を持って出来る、特に初対面や日本酒未経験の方との会話は弾むようになりました。その他、研修会冒頭のアイスブレイクに「きき水」を行うなど、飲食シーン以外でも活用しています。
困ったことは、同じスペックの酒米違いなど探求心購入が増えたことでしょうか(もちろん自社で買います)。
藤代 あゆみさん
日本酒を世界で身近な飲み物にするため、20カ国以上の人に向けて啓蒙活動を経験。一般消費者だけでなく、プロ向けにも精力的に執筆活動を行っている。著作に『日本酒オタクのほろ酔い英語』、『推し英語入門』(アルク)がある。好きな漫画は平尾アウリ先生の『推しが武道館いってくれたら死ぬ』(徳間書店)。
酒匠取得のきっかけ
海外で、日本酒を含む日本製品の販路拡大サポート事業に携わっていた頃、日本酒のことをもっと学ばなければと考え、国際唎酒師を取得しました。
日本酒の資格を取得したことで、海外の飲食業界におけるトップクラスのプロフェッショナルの皆さんとの交流も増えましたが、酒類の香り・味わいを的確につかみ、それを豊かな表現で伝える姿に尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。私も、豊かな言葉で味わいや香りを表現し、日本酒のプロとしての提供・販売をより良いものにしたいと思い、酒匠の取得を目指すことにしました。
酒匠取得後の変化
日本酒や焼酎、泡盛の香りや味わいを的確に捉え、表現するスキルを身につけたことで、各々の個性をより細かく理解することができるようになりました。実は、酒匠の講習を受けたのがコロナ禍になる直前で、実際に取得したのは1年後の2021年でした。
日本酒のことを対面で説明できない、試飲提供をしづらい、そんなこれまでにない難しい状況の中で、日本酒のプロとして、どう活動を続ければいいのか悩み続けていましたが、酒匠になってからは、唎酒師の時よりも、香りや味をより具体的に言葉で表現できるようになったことで、リモートでの商談会などでもこれまで以上にお酒の魅力を表現する力を得たので、仕事が増えていきました。
どこにいても、相手と同じ空間を共有しなくても、日本酒・焼酎・泡盛の特徴をより的確に、魅力的に伝えられる。これからも、世界で日本酒がより愛されるように活動を続けていけたらいいなと思っています。